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静岡歴史探訪「駿府96ヶ町編」

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第14回 浅間通り

11月の静岡歴史探訪は、いよいよ駿府96ヶ町編最後の町名碑を目指します。

1年8ヶ月をかけ川崎さんと牧野さんが巡った町名碑や寺院の数々も残すところ後、4ヶ所。

今回2人が訪れたのは浅間通り。

浅間神社の門前町として栄え、今なお活気にみち溢れている浅間通り商店街の中に、目指すべき町名碑が建てられています。

駿府96ヶ町編の最後を飾るのは3つの町名碑と1つの銅像!

普段から浅間通り商店街を歩かれている方ならピンとくるかも知れません。

川崎さんと牧野さんでお届けする静岡歴史探訪 駿府96ヶ町編の最終回をどうぞお見逃しなく!!

※最終回を迎えるのは駿府96ヶ町編です。

 静岡歴史探訪はテーマを変え、これからも続いていきます。

第13回 茶町通り

10月の静岡歴史探訪は茶町通りをじっくりと歩き、町名碑を巡っていきます。
お茶どころ静岡として有名な茶町通りですが、実は数多くの町名が連なっている事をご存知でしょうか?
今回、川崎さんと牧野さんは茶町通りのみを歩き、4つの町名を紹介します。

まず2人が最初に訪れたのは金座町。以前、銀座について番組で紹介しましたが
今回は、その銀座にゆかりの深い金座を解説します。

更に茶町通りを奥へと進む二人の目の前に飛び込んできた町名碑は・・・
茶町・上桶屋・柚木とテンポ良く紹介していきますのでお見逃しの無い様に!!

第12回(後編)寺町~西寺町・大鋸町

9月の静岡歴史探訪は、前回、さわりだけの紹介となってしまった
玄忠寺の歴史を紹介していきます。

玄忠寺では豆腐善導と下駄久の話を中心に、当時の歴史を
振りかえります。
神話として語り継がれる豆腐善導の不思議な話と下駄久の現実の話し
そのどちらも歴史として語り継ぐ玄忠寺は気になる歴史の宝庫でした。

玄忠寺を後にした二人が次に向かった先は新通町名碑
車通りが多く、見落としてしまいがちな場所にポツンと建った町名碑。
新通りの歴史を知る事で、家康の気心を知る事ができる貴重な回です。

さぁ、町名碑も後わずか・・・
残された町名碑を二人はどの様に巡っていくのでしょうか?

第12回(前編) 寺町~西寺町・大鋸町

8月の静岡歴史探訪は浄円寺前の藤右衛門町町名碑のすぐ傍にある「寺町町名碑」を目指すところからスタートします。

皆さんにとってなじみの深い、常磐公園に寺町の町名碑が置かれている事はご存知ですか?
毎朝の散歩や、夕涼み等で訪れる公園の一角に置かれた町名碑を前に川崎さんと牧野さんが、その町の歴史をひも解きます。

寺町町名碑で当時の歴史を振り返った二人は、そこから少し離れた場所に設置された町名碑「西寺町・大鋸町町名碑」を目指します。
本通りを渡り東へと進んだ先にある町名碑では牧野さんが漢字の読み方に奮闘!!「鋸」の読み方は??


西寺町・大鋸町の町名碑が建てられた敷地には立派な寺院が!

川崎さんの話によると、こちらの「玄忠寺」には非常に面白い歴史が残されているとか?
一体どの様な歴史が残されているのか?興味津津の牧野さんは玄忠寺の中へと入っていき、ご住職から話を伺う事に!!
玄忠寺に残された面白い歴史が明らかになります。

第11回 常慶町~藤右衛門町

各月更新が続いておりました静岡歴史探訪ですが、7月からは月更新でお届けしてまいります。
今月は下魚町町名碑から更に東へと進んでいきます。

2人が訪れた町名碑は「常慶町町名碑」常慶町の由来とは?
更に町名碑の建てられたお寺「教覚寺」に興味を持った牧野さんは川崎さんにお願いし、ご住職のところへ!常慶町や教覚寺の歴史についてお話を伺ってきたようです。

教覚寺を後にした二人が訪れたのは「藤右衛門町町名碑」
藤右衛門とは一体どの様な人物なのか?川崎さんが解説してくれます。
駿府96ヶ町町名碑巡りも大詰めに近づいてまいりました。
知っているようで知られていない静岡の歴史を2人と一緒に 探っていきましょう。

第10回 玄南通り

5~6月の静岡歴史探訪は、旧東海道沿いに紹介してきた町名碑では紹介しきれなかった町名碑を
ピンポイントで紹介していきます。

まずは前回ご紹介した両替町町名碑からほど近い位置に設置された平屋町町名碑を目指します。
町名の由来の傾向が分かってきた牧野さん。今回の平屋町、由来を見事言いあてる事ができるでしょうか?

続いて2人が向かったのは同じ道路沿いにある江尻町町名碑。
清水の方には非常に馴染みの深い江尻。この町名の由来は一体どの様なものなのでしょうか?
知っているようで意外に知られていない歴史が明らかになります。
予想している以上に奥の深い町名碑の由来を是非、知って下さい。

最後に2人が訪れた町名碑は下魚町。
今まで川崎さんに学んできた数々の歴史を思い起こせば意外と簡単に、その由来に辿りつけます。
果たして牧野さんはズバリと由来を言い当てる事ができるでしょうか?
下魚町がどの様に機能し、その様に駿府城城下町の市民に思われていたのか?
当時を思い返しながら川崎さんが丁寧に説明してくれます。

私達の身近にありながら、なかなか知らない歴史の数々。
身近すぎて資料も揃っていない歴史は人づてに、それでも確実に次の世代へと受け継がれています。
静岡歴史探訪は、そんな歴史の継承に少しでもお手伝いできるよう、分かり易く丁寧に一つ一つの町名碑を紹介してきます。

第9回 両替町

3、4月の静岡歴史探訪は2月に放送した町名碑巡りの続きを紹介します。

前回の静岡歴史探訪では時間の関係で中途半端に終わってしまいました。
と、言う訳で今回は前回の町名碑巡りをおさらいしながら、まだ紹介できていなかった町名碑2つを巡ります。
まずは前回のオンエア最後にチョロッとだけ登場した両替町町名碑から!

町名の由来はその土地の職業や環境、または住んでいた方の名からとられる事は既にご存知の通り!
この両替町も読んで字のごとくなのですがその陰には意外に知られていない歴史がありました。
駿府ウェイブ川崎さんの解説で明らかになる両替町の歴史をどうぞ、お楽しみください。

第8回 呉服町

2月の静岡歴史探訪は浮月楼を後にし、再び町名碑を巡ります。

今回、川崎さんと牧野さんが向かったのは旧東海道沿いにある札の辻址。
静岡伊勢丹の前にある立派な石碑は多くの方の目に留まり記憶に残るものだと思いますが、その歴史はご存知でしょうか?

活気あふれる呉服町通り、その先にポツンと建てられている町名碑が呉服町町名碑です。
静岡市民なら誰もが知っている呉服町の町名。
その由来も何となくお分かりとは思いますが、静岡歴史探訪で改めてその歴史を紹介していきます。

第7回 浮月楼

2012年1月の静岡歴史探訪は紺屋町の町名碑の先で見つけた徳川慶喜公屋敷跡、浮月楼から引き続きお届けします。

前回、川崎さんと牧野さんが屋敷跡として訪れた浮月楼。
2人を出迎えてくださったのは浮月楼の代表取締役社長である久保田さんでした。
浮月楼には徳川慶喜公だけではなく、様々な歴史が残された静岡市内でも有数の歴史的価値のある場所である事が分かります。
久保田社長と2人の歴史をひも解く会話がギッシリ詰まった1月の静岡歴史探訪をどうぞお楽しみに♪

第6回 江川町から~浮月楼と町名碑~

静岡歴史探訪 駿府96ヶ町編、第6回は伝馬町から更に先へと進んだ先の町名碑をご紹介します。

『江川町』の由来

最近、工事の関係で少しだけ横に動いてしまった町名碑「江川町」今では江川町は無くなり御幸町と変わりましたが、未だにその呼び名は道路の名前等で使われ続けています。
そんな江川町の由来を川崎さんがひも解きます。

浮月楼と『紺屋町』

静岡市民なら誰でも知っている「浮月楼」ここには様々な歴史が残され、次の世代へと受け継がれています。
まず、意外と気付かずに素通りしてしまう「紺屋町」の町名碑。
浮月楼の敷地内にひっそりと佇む町名碑は、ふとした際に歴史の重さを伝えてくれます。
また、浮月楼と言えば「徳川慶喜公屋敷跡」この石碑、実は浮月楼の入口2ヶ所に設定されている事をご存知でしょうか??

立派な門構えの脇にどっしりと建てられた石碑は浮月楼の格式を改めて感じさせる重厚な作りとなっています。

また、そんな格式高い浮月楼の歴史を、代表取締役社長である久保田隆さんに紹介して頂きます。

今回は特別編として、地元で有名な浮月楼の深い歴史を月更新でお届けします。
まずは12月の前編をお楽しみいただき、2012年1月に、浮月楼の歴史、後編をお届けします。

身近でありながら、意外に知らない歴史の一ページをどうぞお楽しみに。

第5回 花陽院門前町から~日常に溶け込む町名碑~

10月の静岡歴史探訪は、華陽院を後にした牧野さんと川崎さんが再び旧東海道へと戻り、町名碑巡りを再開する事に。

旧東海道を城内へと向かう先には、注意しなければ見落としてしまう小さな町名碑や、その逆に、立派な石板でありならがも、素通りされてしまうものなど、町中へ向かえば向かうほど、その存在が薄れがちになってしまっている歴史の1ページを探って行きます。

華陽院とゆかりの深い 『花陽院門前町』

まず、2人が最初に訪れたのは華陽院とゆかりの深い町名碑「花陽院門前町」
堀田住職の元、徳川家康にまつわる歴史を勉強してきた2人が、町名碑の前で今一度、華陽院の歴史を振り返ります。

一度は目にしている筈な碑

更に城内へと向かい進む2人は、いよいよ静岡市の中心街へと入ってきます。
誰もが一度は目にしている筈の町名碑や石板。しかし、その存在はあまり意識されていないのが現状です。2人は、その歴史の語り部である町名碑と石板を改めて再確認していきます。

実は町中のいたるところに存在する町名碑。町中に入れば入るほど周りの建物が大きくなり、小さな町名碑は更に目立たなくなってしまいます。

周りを意識し、注意を払って見付けた町名碑は小さいながらも、その歴史を確実に語り続けていました。

10月、11月の静岡歴史探訪は、そんな小さな町名碑の存在を改めて知って頂く回となっております。お楽しみに♪

第4回の寄り道 鋳物師町と家康ゆかりの華陽院 後編

9月の静岡歴史探訪は特別編成により駿府96ヶ町「華陽院」後編をお届けします。
前回、旧東海道を少し外れ、牧野さんと川崎さんが訪れた華陽院。
こちらで住職の堀田卓文さんから家康の幼少期(竹千代時代)の話や家康の祖母である源応尼のお話しを御本堂で伺いました。

家康公の祖母 源応尼のお墓

今回は御本堂から外へ移動し、源応尼のお墓を拝見する事に。
歴史上、とても重要な存在でありながらも、あまり知られていない 源応尼の歴史を卓文住職が話し聞かせてくれます。

家康公の側室お久方のお墓

また、家康の五女である市姫や、側室のお久方、城代、定番など
知っておかなければならない歴史が次々と明らかになっていきます。

「華陽院」前編をご覧になった方は是非、後編をお見逃しなく!!
後編からご覧になる方も、充分お楽しみ頂けます♪

第3回 鋳物師町と家康ゆかりの華陽院 前編

駿府96ヶ町、第3回目は鋳物師町の町名碑まで足を伸ばした川崎さんと、牧野さん。今回はどこを訪れるのでしょう。

鋳物師町町名碑

静岡歴史探訪、8月は門前町を探索します。
門前町には家康公と非常に縁の深いお寺、華陽院があります。

家康ゆかりのお寺 華陽院

家康公が幼少期を過ごしたとされる、華陽院、家康を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、その幼少期を知っている方は少ないと思います。

家康公の祖母のお墓

そんな貴重な幼少期の話から、源応尼や市姫まで静岡県民なら絶対に知っておきたい歴史が詰まっています。

と、言う事で今回の静岡歴史探訪は通常編成の2ヶ月更新から特別に1ヶ月更新に変更して華陽院スペシャルとしてお届けします!!
どうぞ、お楽しみに♪

第2回 猿屋町からちょっと寄り道~棟札拝見~

駿府96ヶ町を東見付けからスタートし、前回は猿屋町の町名碑まで足を伸ばした川崎さんと、牧野さん。猿屋町から更に街中へと進んでいきます。

これは蔵??

今回は旧東海道から少し離れたこちらのお宅を訪問します!!
お城?蔵?それとも住宅??
とても面白い創りのこちらのお宅には歴史を語る上でとても重要なものが
数多く存在していました!!

達筆な書を拝見

静岡市ではとても身近な歴史上の人物「山岡鉄舟」の書が登場します!!

これが棟札!

今回、川崎さんは、この棟札を見せてもらう為、こちらのお宅を訪問しました!
この棟札とは一体、どの様なものなのでしょうか?そして、この棟札から
どの様な歴史を紐解く事ができるのでしょうか?

駿府96ヶ町編の第2回目は町名碑ではなく、更に貴重な歴史に触れていきます!
もしかしたら自分の家にも?と思える程、身近でありながら実は知られていない棟札!今回はそんな棟札の魅力をご紹介します!!お楽しみに♪

第1回 東の見付⇒下横田町町名碑⇒猿屋町町名碑

1回目となる今回は96ヶ町の東の入口であった「東の見付」からスタート!
旧東海道沿いにある町名碑を紹介してくださるのは、静岡市のボランティア団体駿府ウェイブの川崎さん。新たな案内役である川崎さんと静岡歴史探訪レポーターの牧野としこが巡る駿府96ヶ町をどうぞ、お楽しみに♪

東の見付

下横田町町名碑

猿屋町町名碑